絵に描いた餅を食べる方法(9) -あるケミストの憂鬱-
3人の生物学者が遺伝の法則にたどり着いたとき
「キサマ等のいる場所は、我が既に40年前に通過した場所だッッッ!!」
とメンデルが立っていたという事態に3人の生物学者がへこんだかどうかは
定かではない。ある意味再発見できてよかったと思ったかもしれない。
しかしながら、生物学者はまだいい。40年で済んでるんだし。
今から40年前って言うと人類が月に着くか着かないかくらいだから
そんな昔じゃないようにも思えるよな。TVもあったし。
万物を構成するのはなにか?
その研究をある意味錬金術から受け継いだ化学者たちにとって、
「キサマ等のいる場所は、我が既に2000年前に通過した場所だッッッ!!」
といわれた日にはかなりへこむと思うよ。中国拳法じゃないんだから。
哲学者(というよりあそこまで行くと自然科学者?)であるデモクリトス。
彼が思考の果てにたどり着いたのは「万物は原子からなり、その原子が運動する空間」
の概念である。…まさに現代科学がたどり着いた結論そのものである。
原子が運動する空間…それこそが物質が状態を変えられる理由である。
(その概念を2000年以上前に思いついたのがすげぇわ。)
デモクリトス自身は論争を好まない人だったらしく
「まー俺そう思うんだけどさー(笑)」という割とゆるい(と言ったら失礼か)
感じで楽しく遣ってたらしい。
異名を「笑う人(Gelasinos)」「笑う哲学者」とも。
いいなぁ異名。俺もなんかほしいです。誰かつけてください。
ただ、その思想の中にはどうも後の哲学者(特にプラトン)にはあってほしくない
ものがあったらしく、プラトンはデモクリトスの書物を集めて焼き尽くしたという。
プラトンは何を恐れたのだろうな。
神々への畏怖や、政治的なわずらわしさからの開放が彼の望んでいたものだと
したら、現代の科学者も結局そこにたどりつけてないという悲しさ。
彼の警句は現代にも当てはまると思う。
「反駁を好んで多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない」
長文だらだら書いて否定ばっかしてる人間って進歩ないよなー。
ま、でもそういう生き方もいいんじゃない?俺はごめんだけど。
…というのがデモクリトスの思考だとしたら…なんというリアリスト。
デモクリトスが原子の概念を考えてからとんでもなく長い年月が過ぎた。
2000年以上…そら技術的な理由とかあるにしろ、書物なくなってたにしろ
そこまで検証できなかったってのは人類情けねぇ(涙)
物質の最小単位である元素の概念に1661年になってロバート・ボイルがたどり着き、
1774年にラボアジェがアリストテレス(こっちも2000年前だろ…)の考えていた
元素転換仮説を打ち破り、ようやっと物質を構成している存在を知ることが
出来るようになった。
バックに宗教絡んでたりするんだよなこれ。最近なんかまた揉めてるみたいだけど。
ヨハネ・パウロ2世がんばったのに…超がんばったのに(涙)
ソクラテスの弁明、じゃないけど、プラトンやらアリストテレスがやらかしたこと
知ったらソクラテスどんな気分だっただろうな。
「だからお前はアホなのじゃあああぁぁぁ!!!」
位はいってやってほしいかもしれない。
こうして18世紀から19世紀にかけて物質を構成する元素は次々特定され、さらに
メンデレーエフによる元素の存在予測、そしてキュリー夫妻による放射性元素の
同定などが行われ、その果てに永久不変であると思われた原子も変化しうるなど
原子の先にまで人類は行き着くこととなるがそれはまた別の話。
物質の構成元素、絵で言うなら紙とインクまでの情報を知ることが出来た。
さてさて、次で第10回か。そろそろ2人の科学者に登場してもらうが…
あいつら、結局パクっただけじゃねぇの?詳細は次回。
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